決戦!教授の館☆
   〜Dance! Dance! Dance! 〜 (前編)


 静海は、今日も穏やかに凪いでいた。

 ウィルミントン港へと降り立ったトーマス一行は、うーんとてんでに背伸びをすると、ウキウキしながらアップタウンへと向かった。定期船は予定到着時刻をかなりオーバーしており、久々に踏んだ石畳の心地よさといったら、筆舌に尽くしがたいものがあったのだ。足元が揺れてないんじゃ落ちつかねえや、と常々放言してはばからない、隻眼の元海賊ハーマンでさえ、まずはパブで一杯を……と、陸の魅力に一時休戦のていだ。

 そして――ウィルミントンといえばフルブライト家。かの聖王様を庇護し助けた、伝説の名将の裔である。聖王様の御世以来の、町の代々の守護者であり、世界でもトップクラスの事業家であり、幅広く学問・芸術のパトロンとしても知られるフルブライト家の御曹司とは、実は浅からぬ因縁があるトーマスたちなのであった。
 一行が目指しているのは、まさにその、ウィルミントンに本拠を置く、フルブライト商会本店。正確には、その奥にある、フルブライト23世の私室である。
 彼の私室に通じる扉は、店を訪れたどんな客の眼にもとまるが、そんじょそこらの一般人には、望んでも開かれる事など決してない。限りなく重く、厚い扉である。だが、トーマスの声を聞きつけたフルブライトは、いつものように愛想と威厳をないまぜに漂わせて(なかなかに器用な話ではある)、素早く一行を自室へと招き入れた。
「よく来てくれた。ウィルミントンもなかなかいい町だろう?」
 これも、いつもの、お決まりの挨拶だ。トーマスはにっこりと微笑んだ。実年齢よりも遥かに老成した、鹿爪らしい態度の奥に、フルブライトは少年のようなプライドと情熱と愛郷心を秘めている。そのことは、会社経営という奇妙な形を取ってではあるが、手を携えて、共に戦ったことのあるトーマスには、重々分かっていることなのだった。
 実を言うと、このウィルミントン再訪は、ちょっぴり不安を抱きながらのものだったのだが、それが払拭されて、トーマスはますます嬉しくなった。前回、悪徳ドフォーレ商会を改心させた熾烈なトレード合戦の後、彼等は新しい商売の話をひとつ棚上げにしたまま、この地を辞去する格好になっていた。トーマスなりの都合も色々あったのだが、そのために、この御曹司の気分を害してしまったのではないかと、彼は密かに危ぶんでいたのだ。
 だが、そんな気配は微塵も無い。
 さすがに大物である。
 金持ち喧嘩せず。
 おのれの心配性を、トーマスは密かに嘲笑した。――おじいさま、まだまだですね、オレなんか。
「有難うございます。相変わらず、美しい町ですね」
 トーマスのお世辞に、フルブライトは鷹揚な微笑を返して、
「今日こそは、商売の話を聞く気で、来てくれたのかね?」 
「勿論です!」
「大変、結構」
 フルブライトはすっくと立ち上がり、手にした杖でコツンと床を軽く叩くと、笑顔を消して、『商売の話』にとりかかった。

「諸君、大変な情報が入った!」
 これまでになく差し迫った口調である。トーマスのみならず、うしろでのんびり構えていたエレン、ハリード、ロビンの三人も、はっとした面持ちでフルブライトの顔を見直した。――ハーマンだけは相変わらず、しれっとした顔で、パイプの煙で輪っかを作りつづけているが。
「これまでの戦いで、我々は、世界を堕落させようとする悪徳商人どもの陰謀を潰してきた。ところが、なんと、アビスの魔貴族に協力して交易を独占しようという連中がいるらしい。アビスのバケモノどもは、経済方面からも我々の世界に干渉し、支配を強めようとしているのだ。しかし、なんとしても、世界の交易は守り抜かねばならん!」
「そんな!モンスターと取引する会社なんて…」
 パーティの紅一点、エレンが両手をぎゅっと握り合わせて叫ぶ。――女らしくて上品に見える、つもり……のポーズである。大雑把な性格の彼女も、フルブライトの屋敷に立ちこめる、伝統と格式の重圧感を全く意識せずにはおれないらしい。
 伝統だの格式だのにとらわれない、自由闊達な野生の魂こそが、彼女の魅力の源泉なのだが――
「欲に駆られるあまりに、わかっていながらモンスターと手を組む輩も、いないとは限らんぞ。ドフォーレの連中を見ろ!」
 『怪傑』ロビンが鋭い調子で口を挟んだ。この男、普段は比較的無口だが、宿敵ドフォーレが絡むとなると、ちょっとうるさい。
「そう、そのドフォーレ商会だ」
 フルブライトが重々しく頷いた。
「まだはっきりと確認はとれていないが――どうも、改心させたと思ったのが、甘かったようだ。奴等の背後に、このところ、妙な影が見え隠れしている」
「だから、あれじゃあ甘いっていったんだぜ、リーダーさんよ!」
 ハリードが、切れ長の大きな目で、じろりとトーマスを睨む。亡国の元・王族と称するだけあって、彼の態度は常に大きい。
「何であの時、ドフォーレを根こそぎぶっ潰さなかったんだ!麻薬の海上輸送路を封鎖されたくらいで、芯からの悪が本気で改心するもんかよ。人間の欲なんざ、果てしもねえもんだぜ!」
「……いやあ、よくわかっていらっしゃる。敵を知り、己を知り……」
「黙れ、くそ爺い!」
 ぼそぼそ呟いたハーマンの白髪頭をぽかりと殴ると、ハリードは荒々しくフルブライトに問いただした。
「じゃあ、あらためてドフォーレをぶっ潰しゃあいいんだな?」
「だが、まだ完全にドフォーレがクロと決まった訳ではない」
 フルブライトは、あくまでも物静かな態度を崩さない。
 その時、これまで無言を保っていたトーマスが、ようやく口を開いた。
「わかりました。これはオレたちの戦いです。ドフォーレが絡んでいるなら、余計にオレたち、いえ、オレの責任は重大です。この話、即刻引き受けますから、まずはどう動くべきか、フルブライトさんの考えを聞かせてもらえませんか?」
 きっぱりとひたむきな問いかけに、フルブライトは得たりと不敵な笑みを浮かべた。
「さすがはトーマス君だ。簡潔にして要を得ている。では、説明しよう――」
「ちょっと待った。その杖は――?」
 ハーマンが突然、横槍を入れる
 フルブライトは軽く苦笑した。
「ほう、さすがに、目がいいな。フルブライト家の誇る情報網を駆使して、さる人物から手に入れた聖王遺物のひとつ――『栄光の杖』だ」
「ええっ、いつの間にそんなものを!」
 トーマスが目を丸くする。
「企業秘密だ。が……」フルブライトはにやりと笑った。「今回のトレードが成功したら、いつもの一万オーラムに加えて、この杖もタダで付けてやろう。出血大サービスだ」
「凄いわっ!おトクじゃない!」
 うっとりした表情で、エレンが叫ぶ。どこの世界でも、『タダ』という言葉に弱くない女性を探すほうが難しい。いや、それはなにも、女性に限った話ですらない。
 ますます士気盛り上がる一同は、いつにないほど熱心に、固唾を飲んで、フルブライトの話を待ち構えた。

 

 ――と、いうわけで。
 フルブライトを加えて六人に増えた一行は、ツヴァイクを経由して、西の森へと足を踏み入れた。
 春まだ浅きこの季節、森は一面の銀世界である。幻想的とすらいえるその美しさと静けさは、時折、獰猛な野犬の群れにより破られるのだが、大概の場合、腕力自慢のハリード・エレン、目付きの悪さには定評のあるハーマンなどのひと睨みだけで、彼等はしおしお尻尾をまいて、逃げて行くことが多かった。
「ふっ、畜生といえども、鍛えぬかれた俺達の強さは、見ただけでわかるんだな」
 立ち止まって、北風になぶられて乱れた黒髪をなでつけながら、ハリードが得意そうに鼻を鳴らす。なかなかお洒落な男なのだ。
「なるほど、ワイルドな肉体派を先頭に並べると、こうも便利なのだな。さすがはトーマス君だ」
「ちょっとちょっとー、なんで乙女のあたしがワイルド……」
「いや、厳密に言えばワイルドではないのかもしれないが、肉体派には違い有るま……げぼぶきゅ」
 エレンの放った強烈なキックが、フルブライトの長広舌を寸断する。
 周囲から差し出された手を振り払い、意地でも一人で立ち上がろうとあがくフルブライトを見ながら、トーマスは溜息をついた。
 ――この人も、長ゼリフの癖がついてるのか、時として、ひとこと以上多いんだよなあ……。
 それでも、シノンの田舎のとはいえ、名家のボンボン育ちで、祖父の厳格な躾のもとに育った優等生のトーマスには、『目で殺す』パワフル三人組より、知性と文化の香りがする、フルブライトへの親近感は強かった。
 勿論、幼馴染みのエレンは、シノンきっての美少女であり、ハリードやハーマンなどとは別格の、可愛い妹分である。が、それでも――トーマスは時折、勝気なエレンの発散する、圧倒的なパワーの前に、眩暈にも似た戸惑いを覚えずにはいられないのだ。
 ハリードに限らず、やたら態度の大きい者が多いこのパーティ。いつの間にやら、いまだにフルブライトを「さん」付けで呼んでいるのはトーマス一人――というのも、皮肉であるが。まあ、お行儀の良い者ほど損をするのは、世の常である。
 ――頑張って下さい、フルブライトさん!今度のトレードは、必ずオレが……
「だが、そのプロポーションはやはり……信頼できる筋からの情報では、スリーサイズが確か……ひぎゃごぼげふうっ!」
「黙れこのッ、ムッツリスケベ〜!!!」
 今度は、芸術的なまでに見事な流星蹴りが、フルブライトの顔面に炸裂した。
 ――絶対オレが成功させますから……それまで、どうか、生きて……
 トーマスは、雪に半ば埋もれて、ボロギレのようになった黄色いコートから目を背けながら、固く固く心に誓った。
「おーい、教授の館、見えて来たぜ〜」
 常にマイペースを崩さず進み、いつの間にやら先頭に立っていたハーマンが、後続に向かって呼びかける。
「よっしゃぁぁぁ!美人教授をアビスの魔手には渡さんぜっ!」
 ボーナス付きと聞いてから、ますます陽気になったハリードが叫ぶ。
「い、いや、美醜は問題ではない。教授の頭脳とハイテク技術が問題なのだ!」
 フルブライトが、超人的な回復力で指摘するが、トーマス以外は誰も聞いてはいないようだ。
「はいはい、とにかく教授の館を、敵さんに買収されないように、一気に獲っちまえばいいんですよね。ドフォーレにアビスの息がかかっているかどうかは、トレードの最中に探れるし、ハズレとしても、今のうちに教授を抑えておく方が安心だし」
 ごく普通の野鼠たちを、無敵のゲリラ軍団に組織した天才ネズミ・アルジャーノン。あらゆるものをはね飛ばしながら暴走する術戦車。教授の破天荒な想像力と研究熱心の副産物には、これまでにも度々苦しめられた経緯がある。本人に、悪気がなくてもこうなのだ。あの図抜けた科学力と、モラルを超越した科学的探究心が、アビスの勢力に利用されたらと思うと、おっとりした性格のトーマスも、背筋に戦慄が走るのを禁じ得ない。
 仲間達には、そこらへんがまだ、ちっとも実感できていないようであるが――
「さすがはトーマス君……」
 今度はフルブライトも、トーマスの差し出した肩を拒まなかった。
 つるべ落としに日が暮れて、白銀の森はあっというまに薄紫色に染まり始める。
 六つの……いや、五つの小さな影は、眼前に聳える、おどろおどろしく巨大な建物に向かって、足跡ひとつない処女雪の上を、一歩、また一歩と、前進してゆくのであった。

 

「はいっ、みなさァん☆お待ちしてましたわよ〜」
 マッド・サイエンティストに相応しい奇怪な館の扉を開けると、甘い甘いソプラノが、六人を待ち受けていた。
「あーら、お初におめもじ〜な方もいらっしゃるわね……あたくしが、きょ・う・じゅ☆」
 パーティのうちでもただ一人、ロビンだけは、教授に会うのは初めてだ。マスクに秘めた正義の心は熱くとも、本来シャイな気質の怪傑ロビンは、教授本人と館の内装とのあまりの落差に、茫然とあたりを見回している。
 素早くハリードが、ぴしりと姿勢を正して前へ出ると、教授ににっこりと笑いかけた。
「おおっ、相変わらずの美形だな。ドフォーレの奴らが丸ごと買い取りたくなったからって無理もないぜ」
「商売の話は、まだこれからよ。あたくしのハートを動かした方に、買収許可を出しちゃうわ」
「それにしても、急に館と発明品を売ろうだなんて、どうなさったんですか?」
 礼儀正しく割って入ったのはトーマスだ。
「以前お会いした時には、そんな話は全く出ていなかったのに……」
「そうね……聞くも涙、語るも涙の物語なの。行方不明になった、愛するペットたちのこと、ご存知でしょ?」
「ええ、勿論」
 微笑みながら頷くトーマスの顔に、かすかな動揺がかすめる。トーマスの横槍に不満げだったハリードも、ぴたりと口を閉じてしまった。
「あの後少しして、あの子達を捕まえてきてくれた人がいたんだけど、買い戻すのに、凄ーく、凄ーく、ふっかけられてしまったの」
「ひ……ひどい奴ですね……」
 トーマスの秀でた額に、じんわりと冷汗の玉が浮かぶ。
 もじもじと後ろを向いたハリードの袖を、ハーマンがついと引き、小声で囁いた。
「おい……お前、あンとき、業者にどのぐらいふっかけてたっけ?交渉事ならまかせとけって、自信満々だったよな」
「そりゃまあ……だけど、みんな、もっともっとって後押ししたじゃねぇか」
 ハリードも、声をひそめて言い返す。
 実は、以前、ツヴァイクのパブで、珍獣コレクターを自称する男に、教授のペットを売り払ってしまったのは、誰有ろう、トーマスたち自身であったのだ。西の森の入り口で、動物ともモンスターともつかぬ奇妙な生き物たちを捕まえたのは偶然だったが、そういやパブに、買い取ってくれそうな奴がいたよな〜、と、気軽な気持ちで町へと戻り、さっさと高値で売ってしまった。教授本人と直接会って、ペット失踪の話を聞いたのはその後だ。まずかったかな……と思った時には、後の祭り。
 悪気でやったわけではないしと口を拭っていたのだが、まさかこんな形で我が身に返ってくるとは、トーマスは勿論、パーティの誰一人として予想だにしていなかった。
「とにかく、儲けを出すために、俺達が毟り取った金額よりもっと高く、教授に売りつけたんだろうな……としたら……」ハーマンが嫌みったらしく続ける。
「犯罪的な金額だよな、うん」
「共犯だろうが、てめぇ!」
「――ペット?」
 これまた、当時はパーティに居なかったフルブライトが、上品に首をかしげる。
 ただし、さすがは世界一の企業家である。教授とは既に面識があるらしい。
「いいの、もう解決したことですもの。愛こそすべて、よ☆」
「そうですね、商売の話に行きましょう!わが社は、教授が後悔などなさらずにすむよう、最大限の努力をさせていただきますよ!」
 トーマスは大急ぎで力説した。
「まず、わが社の方から提示できる金額はですね……」
「いいえ、違うの☆」
 教授の白い指が、トーマスの唇を優しく抑えた。
「おカネで普通のトレードなんて、つまらないわ。やっぱりここは、私の大・大・大・ダ〜イ好きな、ダンスで決めてくださらなくっちゃ☆」
「……へ?……ダンス?」
 トーマスの目が点になった。
「期待してね!一晩寝ないでルールを考えたのよ!」
 教授はひとり、嬉しくてたまらない様子である。フルブライトは難しい顔で、ひたすら無言を保ったままだ。動じた様子はまるでない。どうやら彼だけは、事前に教授の思惑を知らされていたようだ。
 トーマスの不安はじりじりと高まり始めた。
「ドフォーレ商会の皆さんもお待ちかねよ。さあ、こちらへ……」
 教授は颯爽と立ち上がると、トーマス達を手招きしながら、踊るような足取りで奥の扉へと歩み寄った。確か、そこには、広く怪しげな実験室があった筈だ。だが、さっとばかりに開け放たれた、鉄の扉の向こうには――
「おおっ!」
「まあ!」
 真っ先に扉の奥を覗き込んだエレンとハリードの叫びがハモった。
 ごちゃごちゃと部屋中を占領していた、種種雑多な実験器具の数々は、今ではきれいに片付けられて、どこにも見当たらない。そして、ほこりっぽかった床は、鏡のようにピカピカに磨き上げられ、周囲には手すりまで付いた、広い立派なダンスフロアに改造されていたのである。さらに、ダンスフロアのちょうど真中を、可愛いピンクの、一本のリボンが分断していた。
「大改造ですね、教授?以前も確か、小さなステージはあったけれども……」
 まだよく飲み込めないでいるトーマスが、探るような目を教授に向ける。
 その時、部屋の片隅に立っていた男女の一団が、トーマス達に気づいて立ち上がった。
「ああっ、あいつは!」ロビンが叫ぶ。
 教授は、蜂蜜色の巻き毛を揺らして振り返った。
「そう、ドフォーレの息子さんと、お連れのお嬢さんがたよ。あなた方とは、ダンスマラソンで、『教授の館』を争ってもらうつもりなの☆」
「お嬢さんがた?似とらんぞ。美女ぞろいじゃないか」
 嬉しげにオヤジ臭いボケをかますハリードを再び押しのけ、トーマスが教授に食い下がる。
「ダンスマラソン?なんなんですか、それ!」
「とにかく、がんがん色んな音楽を流すから、ドフォーレ・チームと、あなた方と、それぞれ五人が、ノンストップで踊りまくって欲しいわけ。ヘタでも何でも、リズムに乗ってればOKよ。リズムを完全に外したと見られれば減点1。ダウン、つまり転んじゃったら減点3で、10分間、フロアの外に出されるの。ダウンがなくても、減点が10溜まったら、10分ルール適用ね。で、チームの選手全員が揃って外に出ちゃったら、その時点で負け決定!……逆に、私を特別感動させる、ナイスなステップを踏んだ人には、芸術点として、プラスのボーナスポイントをあげちゃうわ☆ねっ、カンタンでしょ?」
 トーマスは、あんぐりと口を開け、茫然と教授を見つめたままだ。シノンで一番のインテリジェントな二枚目は、完全に思考停止してしまった。
「うおお、それじゃ、あの綺麗な姉ちゃん達が、ドフォーレ・チームの踊り手なんだな?」
 ハリードは相変わらず嬉しそうだ。態度が大きいだけでなく、常に前向きなのが持ち味だ。
「なーるほど!。あっちのブロンドはバレエのチュチュ、脚線美が映えるな。隣の黒髪はヘソ出しルックのベリーダンサーか。赤毛は……イテテっ!」
「でも、いつまでも勝負がつかなかったらどうするのよ?」
 肘鉄でハリードを突き飛ばしつつ、今度はエレンが割って入る。
「時間制限を設けるの。両チームとも、頑張ってダンス続行中なら、それぞれ通算のポイント累計で判定よ。そうね、あまり長くても飽きるから、とりあえず10時間にしましょうか」
「10時間〜!?……途中で飲んだり食ったりは……」
「そんな美しくない事、ダメに決まってるでしょ☆」
「だっ、だが、本当のマラソンだって、道の途中に水分補給のテーブルとかあるだろう?」
 ロビンもまた、予想もしない展開に、マスクの下で汗をかき始めているようだ。
「でも、……そうね、水分補給のテーブルは準備しておいて、踊りながらリズムを崩さず飲めればいいって事にしましょうか」
「んな、無茶なあっ!」
 喚くロビンとエレンの服の裾を、ついついとハーマンが引っ張った。こっそり囁く。
「んなもん、楽勝じゃねえか。ウチには足技の達人がいるんだよ。あんな華奢〜な姉ちゃん達、踊りだしゃすぐ、エレンが五人続けてすッ転ばしてやりゃ終いだろ」
「ふっ、俺の十八番、『剣の舞い』で、肝をつぶさせてやるのもいいな」ハリードも、不敵な笑みを浮かべながら、腰の愛刀をそおっと撫でた。「綺麗な女を脅かすのは、本来ならば趣味ではないが」
「俺ら蒼竜使いがナップで眠気を誘ってやるのも効きそうだぜ、ロビン!」ハーマンの悪知恵は絶好調だ。
「だ、だが、それはあまりに、正義の味方らしくないような気もするが……」さすがにロビンは気が進まなさそうである。
「言い忘れましたけど、敵の陣地に足を踏み入れたら、これも即、10分間ルール適用よ。リボンで印をつけてあるでしょ」
「そもそも、武器携行は禁止だぞ!当然、術もだ!」
 ドフォーレ・ジュニアも野太い声で付け加える。ハーマンはチッと舌を鳴らした。
 トーマスはハッと我に返った。――これでは、どちらが悪徳商会だか分からない。とにかく、主導権を握らねば……
「勿論、正々堂々、戦いますよ。しかし、本当に、ドフォーレさん、こんな形で教授の館を競っていいんですか?」
「教授のたってのご希望なのだから、仕方有るまい。お客様は神様だ!」
 珍しいほど長い間、沈黙を守り続けていたフルブライトが、この時ようやく、口を開いた。
「ドフォーレ商会は、教授の考えたこのダンスマラソンを、完全に受け入れたそうだ。我々も準備を始めた方がいい。でなければ……不戦敗だ」
「そりゃ、戦わずして引っ込む気なんかないですよ!」
 言葉とはうらはらに、トーマスはちょっぴり不安げだ。一般教養として、音楽もダンスも習わされた事はあったが、とりたてて得意というわけではない。逆に、ドフォーレ・ジュニアの連れている女性達は、どう見てもプロの香りを漂わせているではないか。だが、いったん腹をくくった仲間達、とりわけハリードとエレンは自信満々である。
「まかせとけ!歌舞音曲は、王侯貴族のたしなみだぜっ」
「うふふふ、ダンスですって?祭りのたびに女王様だったこのあたしを、ナメてもらっちゃ困るわよ!」
「ロビン、あんたも身のこなしの軽さは定評有りだな。へっへっへっ、頑張ってくれよ、みんな!しっかり応援してやるぜっ☆」
 ――ハーマンの明るさだけは、自分は控えに回れるだろうという気楽な計算によるもののようだが……。
 ところが。
 そのハーマンの肩に、フルブライトががっちり手をかけた。
「待ちたまえ。控えは私、君は選手の五人目だ」
「おいっ!てめえ、何考えてやがる!俺の片足、まだ魔海侯フォルネウスに、返してもらっちゃいないんだぜ。杖ついたまま、どう踊れっていうんだあっ!」愕然とする元海賊・ハーマン。
「いやいやハーマン君、どんな悪天候の時でも君は、平気の平左で甲板を歩き回っているじゃあないか。あの平衡感覚とリズム感で、結構いいセンいける筈だ。ついでに、君には、ハンディもつく。マイナスポイントは他の選手の半分に計算してもらえる」
 ほかのメンバーもさすがに驚きを隠せない。
「無茶だわ、フルブライト。何故、あなたじゃなくてハーマンなの?」
「これは俺にも納得いかんぞ」
「フルブライトさん、いったい……」
「――黙っていてくれたまえ。これは私とハーマンとの話なのだ」
 煩い外野に、ちらりとくれた眼差しの冷徹さに、トーマス以下全員が息を飲んだ。仔山羊の手袋に隠された、鉄の拳を垣間見る思いである。
 あらためて、元海賊と大商人、二人は視線をびしりと合わせた。
 嵐と共に森羅万象を吹き飛ばし、蒼天に駆けのぼる巨龍の如く。咆哮一つで大地を揺るがせ、鋭い爪でそれを引き裂く白虎の如く。がっきと噛みあう視線からは火花が散り、ふたつの意志の戦いが、時空そのものを歪めるほどの具象と化して、見る者の心胆を凍らせる。
「とにかく、君には選手で出てもらう」
「てめえは馬鹿か?――それとも……理由があるなら堂々と言ってみな」
 凍りついたようなこの空間。数秒間の沈黙ののち、フルブライトは答えた――
「音痴なんだ」
「……」
 ハーマンの下顎ががくりと落ちた。が、構わずそのまま逆襲へとなだれ込む。
「音程は関係ねえだろうが!」
「……リズム音痴でもある」
 静かな声だ。能面のような無表情が、傍で見ていたトーマスに、余計にそらおそろしいものを感じさせた。この、プライドの塊のような貴公子が、自らこのような発言まで――
 勝負にかかっているものの大きさを肌で感じ取って、トーマスは武者震いを禁じ得なかった。
 ――さらに重苦しい数秒間ののち。
 先に視線を外したのは、意外なことにハーマンの方だった。
「本当に、そのほうが勝ち目が上がるってんなら、仕方がねぇ……」
「ハーマン!」
「嬉しかねぇが、半端な計算じゃなさそうだ。あんな目をしたフルブライトは初めて見た」元海賊は溜息をつく。「あるいは、他にも、何かあるのか……」
「じゃ、そろそろ競技、スタートね」
 教授がポンポンと手を叩いた。
「皆さん、余分な装備や武器は、それぞれのベンチにまとめて置いて下さいな。音響設備も、前よりもっとグレードアップしてるのよ。さあ、史上初、豪華絢爛、華麗なるダンスマラソンの開始よ!」
 教授の甘い甘い投げキッスとともに、戦いの幕は開けられた。

 
<to be continued> 


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