→あとがき
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決戦！教授の館☆
〜Dance! Dance! Dance! 〜 (後編)
いったい、何時間がたっただろうか。
教授の館が、史上初、豪華絢爛、華麗なる戦場と化してから――トーマスは、ターンした隙に、汗でずり落ちてくる眼鏡をすばやく直した。場内は、むせかえるような熱気にあふれて、息苦しいほどだ。
制限時間は、頼み込んでどうにか半分に縮めてもらったが、はたして最後まで続けられるのかどうか、トーマスには余り自信がなかった。
それでも、退く訳にはいかない。十足の……いや正確には九足半の、踊り続ける靴のまわりに、子猫がじゃれつくようにして、淡いスモークが渦を巻く。曲調に合わせてくるくる変わる照明と相まって、いかにも幻想的なムードをかもし出しているが、実はただの演出ではない。
術を使おうとする者の邪魔をする、特殊な香が焚かれているのだ。これもまた、教授の発明品の一つだという。――大したものだ、と、トーマスは、あらためて教授の頭脳に舌を巻いた。
「――タンゴ！」
一段高い審判席に陣取る教授の、明るい声と共に、またしても、リズムが変わる。
おっと、あぶない！トーマスは、慌てて気持ちを音楽に引き戻した。いつのまにかイエローカードを一番ためてしまっているのは、リーダーの筈の自分だった。ダウンこそまだだが、気をつけないと、10分ルールに引っかかる最初の選手になってしまいそうだ。ハーマンよりも先というのは情けなさすぎる。
減点も半分、ダウンは３回で一本と、ハンディ付きのハーマンとはいえ……。勿論、ハーマンの善戦は大いに喜ぶべきことなのだが。
「四拍子だな」審判席の右隣のベンチで、ドフォーレ・ジュニアが頷いた。いまひとつ、音楽的素養のありそうな顔には見えないが。
「そうよ。一、二、三、そして、四拍目の静止☆……この、四拍目の静止っていうのが、日本人には、一番苦手なのだそうだけれど」
「……このメンツのどこに、日本人がいるんだ……」
仲間の武器をしっかり膝に抱え込みつつ、フルブライトが呟いた。こちらは審判席の左側、トーマスカンパニーのベンチに座っている。憮然とした表情は、ダンス対決が始まってから、全く変わらず顔に貼り付いたままだ。
薀蓄はともかく。
タンゴのような、リズムの明快な曲の方が、まだごまかしは効かせやすい。そう言い聞かせ、自分を励ましながら、トーマスは、もはや照れる余裕もなく、無闇矢鱈にステップを踏みつづけた。――たとえば……パートナーもなしに、ゆるやかなワルツをどう踊れというのだ？チームが五人で奇数というのも、どうやら一つの罠のようだ。「ハリード！今のポーズ、最高よっ☆……プラス一点！」
教授の楽しげなコールが掛かる。審判といっても、判断基準は曖昧なものだ。ただ趣味だけ、な気もするが……そう考えれば、男性選手は有利かもしれない。
だが、女性ばかりのドフォーレ・チームは、やはりプロを集めてきていたようだ。というか、あまりにも踊りにミスが少ない。ダウンどころか、ほとんど減点を食っていないのが効いて、今のところ、判定ではドフォーレ・チームがやや優勢である。
一方、トーマスとハーマンが稼いでいる減点を、せっせと埋めてくれているのはハリードとエレン。これは戦前の予想どおりであるが、二人だけで、ドフォーレの五人を越える芸術点を叩き出しているのは、驚異だとしか言いようがない。踊れば踊るほど、調子が上がっていくようにすら見える二人であった。だが、拮抗していたこの戦いも、そろそろ、大きな分岐点にさしかかろうとしていた――。
――どさり。
「くっ、……」
ついに、ハーマンが最初のダウンを取られた。
「お疲れさま、さあ、十分間は休憩よ☆」
教授の声にも、さすがに気遣うような響きがある。が、ハーマンは、教授にも、立ち上がって迎えるフルブライトにも、目もくれない。けっ、と口の中で呟きながら、ふくれっ面でベンチにへたり込んだ。
ドフォーレ・チームの選手達は、くすくすっと、笑顔で目と目を見交わしている。
ハリードが横目で睨むと、なかの一人が、踊りながら、じりじりとこちらに近づいてきた。ペリーダンサーだ。バチンと片目をつぶってみせると、挑戦的にくいっと、豊かな腰をくねらせて見せた。
ハリード同様、彼女もまた、浅黒い肌に漆黒の瞳の持ち主だった。ヴェールに半ば隠されたエキゾティックな横顔が、今は亡き故国の女達を髣髴とさせる。危険な香りが、いっそ懐かしい……。
――面白い。
ハリードは、精悍な顔を歪めて微笑った。
……恋と同じく。
異性のパートナーと踊ることは、熱い駆け引きの応酬であり、血を流さない戦いである。
名も知らぬ、正体もわからぬ、明らかな敵をパートナーに踊る……刺激的なシチュエーションは、むしろハリードの気をそそった。
彼が最も得意とするのは、ドラマティックな華麗なダンス。情熱のほとばしるしなやかな身ごなしには、大人の男の色香と華があふれ、普段は出し惜しみしている気品がほのかに匂う。
――この女、色っぽさには自信が有るようだが、さて、引き立て役にされるのはどちらのほうかな？
自信満々、ハリードは女と視線をからめた。
息遣いだけをぴったりと添わせ――
指の一本とて触れず、絹のリボンを挟んで距離を置いたまま――
この夜、最高にセクシーなダンス・シーンが幕を開けた。さて、五人目の選手はロビン。
芸術点のコールこそ無いものの、減点も皆無だ。持ち前の身の軽さを十二分に生かし、着実に、軽やかに、一心に踊り続けている。ハリードの華やかさ、エレンのダイナミックな迫力に隠れて目立たないが、ロビンの安定感が、トーマス・チームの屋台骨を支えていたのも確かであった。
――そんなロビンへ、意外な方角から声が掛かった。
「上手いわ、あなた」
いつの間にか。
二チームを隔てるピンクのリボンのすぐ向こう。意外なくらいに近づいてきていた、純白のチュチュのバレリーナが囁いた。透けるような白い肌、華奢な肢体が保護欲をそそる、ドフォーレ・チーム中唯一の清純派である。
「……」
ロビンは軽い跳躍を決めながら、無言で軽く肩をすくめた。どんなに弱々しく見えたとしても、この娘は敵の手先なのだ。
「あっちの人のが派手だけど、私はあなたのダンスの方が好き。ねえ、この仕事が終わったら……」
バレリーナはその場でふわりとターンすると、可愛い笑顔をのぞかせた。
「次の仕事で、一緒に組んで踊ってみたいな。……あなた、顔を隠してるけど、本当はプロなんじゃない？」
「まさか」
「真面目そうだけど、固すぎない。ダンサーじゃないとしても、……結構身近なカンジがするわ。水商売とか……」
「ないないないない、それだけは無いぃーっ！」
ロビンは、激しくむせ返った。棒立ちになっている自分にハッと気づいて、あわてて一歩、踏み出した足が、溜まった汗につるんとすべる。
教授がピピーッと笛を吹いた。流れ弾に当たった感があるが。
トーマス・チームの屋台骨、いきなり沈没。――ハーマンに続き、怪傑ロビン、突然のダウン。
ほとんど時を同じくして――
ピンクの絹のリボンに添って、もうひとつの異変が起こっていた。
教授の熱い視線を浴びながら、ノリノリで踊っていたハリードが、鋭く新たなポーズを決めて、ベリーダンサーを振り向いた途端。煌くビーズで織り上げられた彼女のブラが、いきなりパチンと弾けて飛んだ。たわわなバストが、プルンと揺れてむき出しになる。
「なっ……？」
一瞬、ハリードの頭には、かあっと血がのぼった。それでも全く乱れぬステップは、並々ならぬ踊り手のあかしだ。
が――
その黄金の足が、ぬるりと滑った！
「ああっ、ハリード！」
ベンチへ向かいかけたロビンが、ハッと振り返って絶叫する。
ピ……ピッ。
よほど意外だったらしく、教授の笛も、ためらいがちに鳴り響いた。
――畜生、ここんとこ、ご無沙汰だったもんな……
どうと倒れて大の字になったハリードは、遠い天井を見上げながら、ぼんやりと思った。――ロビンに続き、王者・ハリード、まさかのダウン――！
ハーマンは激怒していた。彼がベンチに戻ってから、まだ三分とたってはいない。
「何やってんだ、お前ら！いきなり、あと二人になっちまったじゃねぇか！」
ベリーダンサーは、何事もなかったかのように、素早く胸元を直してすいすいと踊っている。単に、肩紐がずり落ちただけだったらしい。
運命の、あの一刹那。ハリードには、彼女のブラが、丸ごとはじけ飛んだようにしか見えなかったのだが――
「汗で、滑ったんだよ！」ハリードは歯を食いしばりながら、教授を見やる。「なあ教授、タイムを取って床を拭くわけにはいかないかな？」
「自分の鼻血で滑ったんだろうが、このド阿呆……」
「なんだとぉ！」
「よせッ！」
つかみ合いを始めるハリードとハーマンの二人を、ロビンが分けた。
「喧嘩をしてる場合じゃない。エレンはともかく、トーマスの方は、減点10が目の前だ。これは、かなりヤバいぞ」
「げっ、そんなに？……こらぁ、トーマス、ちっとでも気ィ抜きやがったら、ただじゃ置かねぇぞお！」
「止めとけハリード！あいつ、プレッシャーには、あんま強くないタイプだぜ……」
ハーマンは声を殺したつもりらしいが、勿論、トーマスには全部聞こえている。
――ああもう、好き勝手言ってくれるぜ、あの連中……
またしても、音楽が変わる。
踊りながら言い返すほどの余裕のない自分に歯噛みしながら、トーマスは、これまで以上に、足元にも注意を払うことにした。なるほど、続けざまに二人も転倒しただけあって、床はいささか汗と埃で汚れてきている。転ぶついでに、エレンを巻き添えにでもしたら、全ては終わりだ。
万一に備えて、なるべくエレンからは距離を取っておこう。
それに、こんなに僅かな時間に、ダウンが三つも重なるなど、偶然ではない。ドフォーレ・チームは、また何かを仕掛けてくるのではあるまいか。
多分、エレンに。――トーマスは既に、イエローカードで満身創痍なのだから。
とにかく、皆が復帰してくるまで、何が何でも持ちこたえなくてはならない。
あと八分。いや、七分半……？
トーマスにとって、長い長い数分間が、今始まろうとしていた。今度の曲は、クラシックだ。甘く情感たっぷりの、バレエ音楽。
「やな予感がするぜ。エレンはどっちかってと、パンチの効いた、スピーディな踊りが得意そうだったじゃねえか」
「ああ、そうだ」ハリードが頷く。「だが、彼女もあれだけの踊り手だ。どんな曲でも、自分の色をうまく出すさ」
名人は名人を知る。エレンはゆるやかに両腕を上げると、翼のようにふわりと広げた。つま先だって刻むステップは、別人のように、こまやかで繊細なものに変わっている。
「驚いたな。エレンに、こんな優雅な所作ができるとは――」フルブライトが溜息をついた。
「蒼ざめて透明な、真のロマンチック・バレエ――」隣でロビンがうっとりと呟く。
「となれば……おおっ！」
限りなく優しい、流れるようなエレンの動きが、メロディの高まりとともに、突然変わった。
素早く片脚を振り上げると、エレンはそのまま、思い切りよく回転を始めた。もともとすらりと背の高い、均整のとれたナイスバディだ。ダイナミックな踊りが最高に似合う。
高々と脚を上げたまま、回転の勢いは、ますます激しくなってゆく。折って数える指が、あっと言う間に底をついた。
「黒鳥オディールの、グラン・フェッテ・アントールナンね！ブラヴォ、エレン！」
たまらず教授が立ち上がって、歓呼の声を上げる。
「あの有名な、32回の大回転か？」ハーマンですら、聞いた事くらいはあるらしい。
「……21回……22回……23回……」ロビンの声は畏怖の響きを帯び始めた。
このような難局に、あえて大技に挑戦するとは。エレンの負けず嫌いには慣れていた筈のトーマスも、驚愕せずにはいられなかった。自分も踊り続けながら、天に念じる。
――頼む、エレン！焦って自滅することだけは、避けてくれよ！
「……26回……27回……おお、あと少しだ……」
だが、ハリードはハッと息を呑むと、血の出る程に唇を噛み締めた。
プロ以上の目を持つ彼は、いち早く気付いたのだ。
「支え脚のポジションが、ずれて来ている……」
何とか32回を回りきったとしても、そのまま転倒してしまいかねない。蒼ざめるハリードの目の前で、エレンは危なっかしいバランスで何とか回転を続けながら、突然、つつつ……と、不安定に横滑りしてゆき――
すかぁーん！と、白いバレリーナを、リボン越しに、長い脚で蹴り飛ばした！
それでなくとも定評のある、エレンのキックだ。
余りに急な接近のため、避けきれなかったバレリーナは、フロアの端まですっ飛ばされた。赤毛のタップダンサーと黒い網タイツのグラマーを道連れに、ド派手に手すりに激突する。
ピーッ、ピーッ、ピーッ！
教授の笛は、三回吹き鳴らされた。
「わざと……だったのか……」
ハリードが大きく息をつく横で、ロビンとハーマンが、やんやの喝采を贈る。
「凄いぞエレン！これで２対２だあ！」
強烈なキックとともに32回を回りきると、エレンはまた何事もなかったかのように、優雅に踊り続けている。一度だけ、ちらりと覗かせた赤い舌に、気付いた者が何人いただろうか。
――恐るべし、エレン。ドフォーレ・ジュニアは激昂した。当然といえは当然であろう。
「反則だっ！敵の陣地に、足を――」
「踏んじゃあいないぜっ！空中だ！」ハーマンがわめき返す。
「教授、今すぐ没収試合にして下さい！こんなもの、踊りの勝負ではない！」
「……とにかく、一度、タイムを宣言するわ。あれほどまでに芸術的なキックですもの。判定は少し、時間を……」
「その必要はありませんよ」
肩で息をしながら戻ってきたトーマスが、きっぱりと言い放った。
踊り続けねばならないプレッシャーから解放されたせいか、目の輝きがこれまでと違っている。仲間たちも、教授も、おや、と言う目で、トーマスの顔を見直した。
「反則負けはドフォーレ・チームだ！教授、フロアの床をよく見比べてください！」
さっと片手で、敵陣を指し示しながら、トーマスは叫んだ。
「ドフォーレ・チームの足元は、奇麗すぎると思いませんか。オレたちの陣地の床は、汗と埃を踏みしだいて、足跡や汚れの筋がたくさん付いているというのに――」
「……そういえば。そうね、術封じのスモークで、気付かなかったけど……それで？」
「わかりませんか？」
トーマスの眼鏡が、キラリと光った。
「ドフォーレの選手たちは、人間じゃない！浮遊系のモンスターが化けているんだ。エレンに蹴られでもしなきゃ、誰一人として、転びやしないさ！」
「なにっ！モンスターだと？」
ロビンが色めきたつ。
「ドフォーレ・ジュニア！貴様もとことん、懲りない奴だな。また同じ手かっ」
「同じで悪いかっ！二度あることは三度あるんだっ」
「え……二度？計算変なんじゃ……」エレンが首をひねる。
「私のほかにも、誰か、モンスターを雇って消そうとしたことがあるのか……！？」
「やかましいやいっ！貴様ら、とっとと地獄へ行け！」ドフォーレ・ジュニアが開き直った。「さあ先生がた――お願いしますよ！」「ほーっほっほっほっ。いい潮時ねっ！」
さっきまでの美女たちは、けたたましい笑いを響かせながら、衣装をぱっと振り捨てると、揃って正体を現した。
「ステップ踏むのは得意中の得意！疲れなんぞ、微塵も無いわ。瞬きする間に、まとめてあの世へ送ってあげる！」
もはや、偽装の必要はない。いまやドフォーレの女達は、引力の呪縛を見事に無視して、ふわりと宙に浮かんでいる。
――踊り子の姿をした亡霊『レッドシューズ』と、悪魔の翼持つ邪悪な女妖精『ミニティ』だ。
「……“誘惑”も、お得意だったよな、あいつら……」
ハリードが、苦々しい呟きを漏らした。
「甘くみるんじゃないわよっ！さっきのキックは、ほんの手始めよ！」
エレンは早くも、両の拳を固く握り締め、臨戦体制に入っている。これまたはやる心を抑えきれない様子のロビンが、フルブライトを振り返った。
「フルブライト、武器を頼む！」
ロビンの叫びに応えて、フルブライトは立ち上がった。――その目があやしく、キラリと光る。
「体術が得意なのは、エレンだけ。この武器がなければ、大変なことになるな」
「何を言ってる？早く、レイピアを！」
「俺の、カムシーン！……おい、何だ？」
仲間の武器を両腕に抱えたまま、フルブライトは突然、ひらりと後方へ飛びすさった。驚くべき跳躍力である。
「丸腰で、どこまで保つかな。実に見ものだ」
トーマスがさっと顔色を変えた。
「しまった！とうに気付いているべきだった――教授、術封じの香を消して下さい！」
「もう消してるわ！でも、換気にはまだ少し、時間が……」
「くっ、卑怯な！武器も、術も、使えんのか……」
「――そういうことかい。欲に負けたのは、てめえも一緒か！」
「みんな、何とかあいつを捕まえてみて！ここは、あたしが食い止める！」
素手でまともに戦えるのは、エレンだけだ。
ポニーテールを振りたてて、エレンは悲壮な決意を見せる。だが、五対一。
戦況は、あまりにも暗い。
ククッ、と不気味な含み笑いをしながら、フルブライトが右手に杖、左手にハリードの曲刀を構えた。ドフォーレ・ジュニアの高笑いが響くなか、亡霊たちも目配せしあって、漂うように迫ってくる。
高々と掲げられた栄光の杖が、まばゆいまでの光を放ち、フルブライトの全身を包んだ。
「――天と地と、人の祝福をわが身に満たせ……力溢れよ……ブレス！」その時。
いきなりバタンと扉が開くと、高らかな声が響き渡った。
「させるか！スター・フィクサー……っ！」
呪文は扉を開ける前に、唱え終わっていたらしい。
目もくらむばかりの黄金色の光柱に打たれ、フルブライトは、ばたりとその場に倒れ伏した。
「さあ、武器を取り戻すんだ！急いで！」
意外な成り行きに凍り付いていたトーマスたちは、このひと声で、我に返って駆け出した。
武器を取り落とし、ひくひくと痙攣しながらうずくまる、無様な姿にわらわらと群がる。自分の武器を手に取るついでに、おまけの蹴りも、一発、二発――
「もう許さんぞ、ドフォーレ！」
「これで、形勢逆転だぜ！」
閉じかけた罠が破られるのを見て、ドフォーレ・ジュニアの顔からすっと血の気が引いた。
「でも……あれは……？」
「間に合ったようだな。だが気は抜くな」
――静かな声音は、それでも笑みを含んでいた。
洒落てアミダにかぶった帽子の、角度を軽く片手で直す。
扉の脇にすっくと立ったその姿は――。
「フルブライトさん！」
「……フルブライトが、二人……？」ハリードが驚きの声をあげる。「だが、ウィルミントンから、ずっと一緒だった筈だ――」
トーマスが、軽く自嘲の笑みを浮かべた。
「今なら分かる。そもそも、ウィルミントンになど、着いていなかったんだよ、ハリード。定期船がかなり遅れたのを、覚えているだろう。おそらくあの時、何らかの、目くらましにかけられたのさ」
「なるほど。新本格派ばりの大トリックだな」トーマスの推理に頷きながら、フルブライトは倒れたままの偽者に向けて顎をしゃくる。「だがもう、あんな不細工な怪物と、私を見間違わんでくれよ」
苦痛のあまり、変身の術が解け始めたらしい。
身もだえするうちに、さっきまでフルブライトそっくりだった顔は、土気色に膨れ上がった。口は大きく裂けて牙が伸び、破れたコートの下からは、下手糞な粘土細工のような醜い亜人間の姿があらわになった。
「やだ……クリプトエルダー！」
振り返って、エレンが不快げな声をあげる。
「お喋りしている暇などないぞ――ライトニングピアス！」
肉弾戦の火蓋はロビンが切った。光速の突きに、モンスター達は悲鳴をあげる。
「食らえ、疾風剣！」
「流星蹴りよ！」
「双龍波っ！」
足の悪いハーマンだけが出遅れている。今やっと、自分の杖とバイキングアクスとを、クリプトエルダーの体の下から引っ張り出したばかりだ。
ばたばたと倒れる仲間を尻目に、形勢悪しと見たレッドシューズの最後の一人は、少し離れてしゃがみこんだままのハーマンにひらりと跳びかかった。
無理なダンスマラソンが足腰に来たのか、ハーマンの動きは鈍い。
「死ねッ！」
エレンのそれにも劣らない、強烈な蹴りが頭上から襲う。だが、ハーマンは、防御の体勢を取るどころか、床にへたり込んだまま――
「ギャアアアアアッ！」
ほとんど目にも留まらぬような、細い、細い、銀糸が舞った。
ハーマンの手にした杖――仕込み杖が、刹那の間合いに抜き放たれて、レッドシューズを空から叩き落したのだ。あらわになった銀の刃は、凶悪な光をたたえている。
まさか、の体勢から繰り出された、必殺の居合抜きだ。
「ヒヤッとさせないでよ、ハーマン！」
「すぐにラクをしたがるんだからな、この野郎は」ハリードがふん、と鼻を鳴らす。「抜いちまったら、すぐには立てねえだろうが……」
「いいんだよ、最後の一匹だから。それに、栄光の杖も取り上げたぜ」
「何が最後だ。見ろ、奴が逃げるぞ！」
黒いマントをひるがえし、ロビンが猛然と走り出した。
ドフォーレ・ジュニアが、裏口らしい扉を見つけて、こっそり抜け出そうとしていたのだ。
その足元が、奇妙な衝撃にがくんと揺れた。うわっと悲鳴を上げながら、その場に倒れて動けなくなるドフォーレ・ジュニア。
「――大震撃。」
杖を構えたフルブライトが、にこりと笑う。かなりの遠距離攻撃だ。ダメージは軽めだが、見事にスタンが決まった。
「くそっ……殺すんなら、さっさと殺せ！」
ドフォーレ・ジュニアの喉元に小剣を突きつけたロビンが、厳しい声で問い掛ける。
「狙いは私か？それとも、トーマス・カンパニーへの逆恨みか？」
「……まあ、両方だろうな」
苦笑を浮かべながら、フルブライトがゆっくり二人へ近づいてきた。
「ここで殺すつもりは君にもあるまい、ロビン。町へ連れ戻って、立派な裁判にかけてやるのがよかろう。ドフォーレの悪行の全てを、天下に知らしめるためにもな」
「もちろんだとも。正義は、白日のもとに行われるべきものだ！」
ロビンは胸を張って叫んだ。真っ白な歯が、キラリと光る。
「教授という証人もいるしね」
エレンの言葉に、笑顔で頷く天才教授。すべては、うまく収まりそうだ。すっかり和やかになった空気の中、トーマスがおずおずと口を開いた。
「ところで、フルブライトさん？……ぜひ、教えて欲しいのですが……」
後ろで、仲間達も、ぶんぶんと首を上下に振って賛同の意を示している。
「ああ、何故私が、この急場に現れたか、かね？」
フルブライトはゆったりと頷いた。
「実をいうと、ほとんど偶然と言ってもいいんだ。仕事の都合でツヴァイクを訪れたのだが、ほんの数時間前に君達が、西の森に向かったらしいと聞いてね。――それも、私自身と一緒に。さっそく後をつけてきたというわけだ。本当に、危ないところだったな」
「いやいや、そうじゃなくて！」じりじりした様子でハーマンが叫ぶ。
「何としても知りてぇ。本当のところ、あんた、どうなんだ？――音痴なのか？！」
「――はぁ？」
フルブライトは絶句した。憑かれたようなハーマンの目と、その背後で一層激しく、ぶんぶん首を振っている他のパーティメンバー達とを見比べる。
「……あー、それは……人並みだと、思うが。少なくとも鑑賞には不都合はない」
それから、憐れむような優しい声で、後を続けた。
「よくわからんが、『ダンスマラソン』とやらで、よほど辛い目にあったと見える。とにかく君達、一度ウィルミントンに来て、しばらく静養したまえ。たっぷりともてなしてあげるから」
静海は、今日も穏やかに凪いでいた。
トーマス達は、航海中ずっと、神経質にこっそり時計を睨んでいたが、とりあえず納得した顔で、ウィルミントン港に降り立つと、まっすぐフルブライトの家へと向かった。
――幸せな数時間の後。
唇の端に爪楊枝をくわえたハーマンが、膨らんだ腹を撫で撫で、口を開いた。
「なあ、あの杖なんだが――鑑定結果は、どうなった？」
「クリプトエルダーの持っていた『栄光の杖』か」
フルブライトが、例によって重々しく頷く。
「これがなかなか妙でね。レプリカだろうが、込められている魔力は大したものだ」
「レプリカじゃ、あまり高くは売れねぇかな……」
「むしろ、聖王遺物となると貴重品すぎて、かえって売るのは困難だぞ」
フルブライトは苦笑しながら、香り高いガーター・ティーを口に運んだ。
「ちぇっ、骨折り損か」
剣使いのハリードが鼻を鳴らす。売れない杖など、彼には用がない。ケーキを頬張ったまま、エレンがくすくす笑い出した。
「いっそのこと、フルブライトさんに使って頂くのはどうかな？今度のことのお礼としては、ささやかなものですが」
「いや、嬉しいよ。喜んで」午後の陽射しの差し込む中、なごやかな時間が過ぎてゆく。
ふと、トーマスがフルブライトの顔を見た。
「そういえば、ツヴァイクには、どういう用件で？」
「それは……」
珍しく、フルブライトが口ごもった。
「この前、次のトレード話に乗り気でなさそうだったろう。もう商会経営に興味をなくしたのかと……新たな人材の発掘に、各地を回っていたんだ」
「いえその、そんな……」
トーマスが顔を赤らめた。
急に気まずくなった空気の中、ぽつりぽつりとフルブライトが続ける。
「だが、……なかなか、君ほどの男は見つからないね。どうだろう――ドフォーレの罠に引っかかるくらいだから、まだ、君にも、やる気はあると思っていいのだろうか」
「勿論ですよ！今すぐにでも、次の、商売の話が聞きたいくらいです！」
トーマスが勢いよく身を乗り出してみせる。
「話はあるが……本気かね？」
「本気です！」
「そうか」
短く答えると、フルブライトは心からの微笑を浮かべた。
――美しい友情の危機は、めでたく回避されたらしい。
フルブライトは、さっと立ち上がって背筋を伸ばすと、鋭い目でトーマスを見下ろした。
「大変な情報だ！」
いつになく差し迫った口調である。
――が、テーブルの向こうで、こくりこくりと船を漕ぎ始めていたエレンたちは、それに気付いた様子もない。緊迫感の奥に、どこか嬉しそうな響きがにじんでいるせいだろうか。
トーマスは、長い長い話に備えて、椅子に深々と座り直した。
今度こそ、ほんもののフルブライトだ。次の戦いは、きっと、もっと、まともな戦いに違いない――
自然に、トーマスの頬も緩みがちになる。世界の交易を守るため、前途に待ち受ける困難は、どれほどのものだか知らないが……。
とうとうと流れる、フルブライトの弁舌をＢＧＭに。
古都ウィルミントンの静かな午後は、ひととき、平和な光に包まれていた。<the end>
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