ブランカスタ――城にほど近い、川のほとり。
午後の穏やかな陽射しが、ゆっくりと、わずかにけぶる。ここ数日、下界で繰り広げられている血生臭い喧騒など、まるで気付いてもおらぬかのように。
寄せ手の突撃は、昨日から数えて四度目になろうか。みずみずしい緑野は、人馬の巻き上げる砂塵に色を失い、今ではただ殺伐と飢え広がった屠殺場と化している。
だが、ここ数時間で、見るからに士気の上がってきているのは、寄せ手の兵ではない。むしろ、地形を盾に、要領よく敵の渡河を阻み続けてきた守備側の方であった。
うっとおしい奴等だ――まだ、諦めないのか？
心持ち見下すような、あくまでも落ち着いた態度で、ブランカスタ兵は、次の打撃を待ち受ける。俺たちの後ろには、あの金髪の守護神が――名将と名高い、ペンドラゴン・ブランシェがついているのだから。
実を言えば、少し前まで最も恐るべき敵将の一人だった彼の指揮の下で、本格的な合戦を戦うのは、兵士ら自身も、これが初めてだ。だが、信じられるものは多いほど良い。
とりあえず今日、今、自分たちは、生きている。根拠としては上等だ。
「本当に、うっとおしいな」
ペンドラゴンは、額にかかる金髪を払いのけながら、子供のように口を尖らせた。河岸の攻防はここ城門の脇からでも、細かいところまで眼下に見て取れる。
「奴ら、小川ひとつ渡れないでいるくせに、まだ諦めも、戦術変更もしないってのか」
馬鹿じゃないか、と、鮮やかに顔に書いてある。
白馬に打ちまたがったその姿は、世評にそぐわぬほどの若々しさだ。が、全身にみなぎる強烈な自信のオーラが、似たような年頃の若者たちとは、はっきりと一線を画していた。
――寄せ手の大将には、一度だけ、王都で引き合わされた覚えがあった。
いかにも粘液質なぎらつく眸で、しぶとさにだけは自信が、とか何とか、ほざいていたように思う。
「ったく。俺の予定を変えさせたいんなら、もう少し……」
しかし、一番気に入らないのは、他人から、何かが「出来ないだろう」と言われる事だ。
ペンドラゴンは今一度、日輪の高みを目で探った。西風が、たなびく薄雲を軽々と吹き散らかしてゆく。
いい感じだ。
背後には、ここまで温存してきた騎馬隊が、いつでも飛び出せる状態で控えている。合戦に臨んでは、作戦指揮に専念するためにと、常に部隊の後背に控えたままという指揮官も多い。確かに、一国の領主に背負わされるものは、軽々しく戦場に散らすには大きすぎる。
だが、そのような戦は、ペンドラゴンの気質に――また、その実力に適うものではなかった。
「そろそろだな」
ペンドラゴンは声に出して呟いた。
騎兵による突撃は、圧倒的なスピードと破壊力を誇る、ブランシェ仕込みの得意技である。
問題はタイミングだ。
勝てる戦を泥沼の消耗戦にしてしまうのも、実はたやすいことなのである。
「何故……ここまで待たれたのですか？」
副官の一人が、声をひそめてペンドラゴンに尋ねてきた。敵を組し易しと見て、早い時間から、はやる心を高ぶらせてきていたらしい。
ペンドラゴンは無表情に、ちらりと相手に目をやった。
一瞬、研ぎ澄まされた美貌に、白刃の煌きが浮かんだような錯覚に、副官はぎくりとした。が、思いのほか静かな調子で、答え――説明と呼ぶには不親切そのものだが――が返ってきた。
「前線は安定している。焦る必要はない。距離がある所を、川を回りこんで、西側から一気に突っ込むわけだが――味方はいくらでも欲しい」
親指だけをごく軽く立て、天を指す。
すぐ傍に控えていた、年配の従兵はほうっと息をついた。
ブランシェ家からついて来た唯一の、子飼いの部下である。長く身の回りの世話を続けてきて、ペンドラゴンの癇症病みは骨身に沁みていた。
が、新天地へ来て、かえって、自分を押さえるだけの余裕が生まれてきたのか。
ブランシェ家を捨てるなど、とんでもないことだと思われたが――
軽い驚愕とともに従兵は思った。
――ペンドラゴン様は、これまでより、もっともっと、お強くなられる。
ペンドラゴンは、まっすぐ前方を見つめたまま、さっと片手を差し上げた。
「出るぞ！全速力！」
勢いよく、愛馬に銀の拍車をくれる。
続いて、無数の銀色が輝くと、轟き渡る蹄の響きが大地を満たし、怒涛の黒い奔流となった。
砂塵と共に飛び出した軍馬の一団は、予定の道筋を風のように走り抜けると、巨大な西陽を背にして、懼れ惑う敵軍へと躍り掛かった――
「シアボルドだろう。しつこいだけの男だ。退き時をわきまえない分、長引かされるかもしれんが」
リアラッハはそう言うと、また窓の外へと視線を戻した。少々、面倒くさげな口調である。
今回は、双方ともに、これと言った切り札――傭兵隊や、王冠ドラゴンなど――のある戦いではない。それだけに、指揮官の資質が、もっともナマな形で、勝敗の帰趨を決する筈だ。
――ディアス家の、とりあえずの本拠地、ウェラミウム。城内の一室である。
当主であるリアラッハが、「そのうち、もっとそれらしい所に本拠地を移す予定だから」と公言しているゆえに「とりあえず」なのだが、これは、なけなしの資金を、体裁を繕う事に費したくないのを誤魔化す、言い訳かもしれない。実際、王位を目指す一勢力の本拠地にしては、貧しげな城だ。
「ペンドラゴンなら心配無用だ。噂を割り引いて考えてもな」
「噂って、……そんないい加減なものが根拠なんですか？」
不安そうに、ライアスが食い下がる。
「仕方が無かろう。私も直接、戦場で手合わせした事はないんだ。あ奴はむしろ、ライル家相手の戦いぶりで勇名を馳せたんだからな」
ライル家は、ブランシェ家と比肩される名門だ。
ただし文官の家系である。
その気質の違いに、いかなる因縁が加わってか、平時より……いや、何代にも渡って、両家の仲の悪さはつとに有名だった。
そしていま、王冠戦争の時代――それは、ランカシァ王家の暴政から国を救うべく始められた、大義ある反乱だ。だが、新時代の王位を目指す大貴族たちは、互いに、競争相手でもある。
旗揚げの甲斐なく消えていった家名は枚挙にいとまが無いが、その命脈は、王家の手で絶たれたとは限らない。現在、家臣としてリアラッハに仕えているライアス自身、そうした滅びた名家の出なのだ。
……の割には、この元・御曹司には、ちっとも悲壮感など漂っていないが。
首を振り振り、
「そんなもんですかねぇ」
「そんなもんさ。いくさなんぞ、お前には畑違いだろう。どうせなら他の心配をしろ」
「金勘定とか……」
「それだ」
リアラッハは、窓辺にもたせかけていた長身を、少し起こして、横目でライアスを見た。
「シアボルドがブランカスタへの国境を越えたと聞いたときに、『召集の件は忘れて、存分に戦え』と、使いを出しておいたんだが……」
まさにこの瞬間も、北のブランシェ領に攻め込んでいた猛将二人――ライスとメイルガンが、戦勝報告を携えて、ウェラミウムへと向かっている筈なのである。
彼らの働きで、一気に大きくなったディアス領だが、リアラッハは今一度、将軍達を全員揃えて今後についての会議を持ちたいと考えたのだった。色々考え合わせた上で、今の時期なら南の国王軍も動くまいと、日程を決めたのだが、計算が狂った。
規模としては、それほど本気の侵攻でもないのだが……リアラッハは軽く舌打ちする。
各々の領地を、そう長く空けさせてはおけない。
今から予定変更などは、論外だ。
「そりゃ、勝っても戦後処理や何や、時間をとられますからねえ。間に合うわけ無いでしょう」
ライアスは口をはさんだが、リアラッハはろくに聞いていない様子だった。
「あの男、かえって、むかっ腹を立てていそうな気がする」――さすがに、人を見る目はそれなりである。
「ここの所、結構無理を聞かせてきたし、来月あたりは何とか、金か兵か、少しは回してやりたいが……」
「苦しいですね」付き合っていられない、という顔で、ライアスは肩をすくめた。「あとは物価の動向次第でしょうか」
「では、後回しか。ところで、あれは出来たのか？」
「次の引き抜き工作の候補者リストですね。あと少しですが、そのついでに」
ライアスは、自慢の口髭をちょっとつまんで整えると、咳払いをした。
素早く、あたりに人がいないのを確認する。
「えー、何というか、お聞きしておきたい事がひとつ……」
「何だ」
「リアラッハ様には、ですねえ……」
じいっと上目遣いに、ライアスはリアラッハの顔を見上げた。
自分より、少なくとも十は年上のはずだが、この主君は心身ともに、それを感じさせない活気に満ちている。
もう若いとはいえない年だが、精悍さに甘さがほの混じり、なかなかの二枚目だ。なぜか、未だに独り身な事も、若く見える一因かもしれない。二十代の頃は、甘いマスクと剣士としての名声を武器に、プレイボーイでならしたと言うが。
――ずばりと切り込む。
「隠し子、とかは、おられないんですか？」
ぐらり、と、リアラッハの上体が揺れた。
慌てて窓枠を引っつかみ、一歩下がって石床を踏みしめると、リアラッハは呆然とした表情で振り向いた。
「なっ、何を言い出すんだ、お前は……」
ライアスは動じない。
「失礼とは存じますが――どうなんでしょう」
「いるわけが無いだろう、そんなもん！いる筈が、」ぐっと拳を握り締め、ライアスを睨み付ける。「突然、何を……何か、言いたい事でもあるのか？」
最初の勢いが、途中からいささか弱まってきていた。
――さては、不安がきざして来たか。このあたり、男というのは、やっぱり弱いもんだなぁと思いながら、何食わぬ顔でライアスは続けた。
「いや、いたら良いかなぁ、と、思っただけなんですが」
「……良いかなあって、おい……」
「例えば、スレテート家ですが」
「ああ？」
「出来のいい後継ぎが控えているからこそ、パッとしないなりに、潰れもせずに残っているんじゃないですか？家臣団にもそのぶん、安心感があって。確か、当主のティリアン卿とは、リアラッハ様、同世代でしょう」
「まあそうだが。……奴は特に早婚だったんだ。余程良い縁組だったかして。えーと、」
ようやく話が見えてきた。一時停止していたリアラッハの頭が、少しずつ回り始める。
「まだ二十歳にもなってなかったんじゃないかな。長男だって、まだ十代じゃないか？」
「立派に領主をつとめてるらしいですよ。ますます、羨ましいような話じゃないですか」
「いくら人材不足が悩みとはいえ、妙な解決法を思いつかんでくれ。今から仕込んでも、間に合わんぞ」
リアラッハは溜息をついた。
ライアスが、突拍子も無い発想をする男だとは、いきなり独立話を持ちかけてきた時から分かっていたことだったが――この唐突さには、今でも時々、驚かされる。
「何にせよ、後継ぎがいるってのは良いことですし、」
「余程の馬鹿なら別だがな」
痛烈な皮肉に、ライアスはちょっと首を縮めた。
今度ばかりは、本気で怒らせてしまったのだろうか？では、なるべく体裁よく退却を……
「えーと、つまり、新王候補としての責任という点からも、身を固めるのは……」
「くどいぞ。とっとと自分の仕事に戻れ」
しっしっと、片手を振って、追い払うしぐさをすると、リアラッハはくるりとそっぽを向いた。
もう、顔も向ける気もないようだ。
退出しようか粘ろうか、ライアスはちょっと考えた。
「――あ、そうか、今だったら、姻戚関係で釣るって外交路線も？」
主君の右手が、腰の剣に伸びるのを見て、ついにライアスは尻尾を巻いて逃走した。
――あの馬鹿、もう少し考えてから物を言うようになって欲しいもんだが……。
リアラッハはあらためて、窓辺に寄ると、空を見上げた。
「随分、日が長くなってきたな」
誰にともなく小声で呟くと、リアラッハはひっそりと微笑した。
そろそろ夕方だというのに、あたりにはいつまでも、柔らかい光が満ちたままだ。
「じき、夏至ですからね」
耳ざといライアスが、扉の蔭から返事をしたが、相手にするものなど、どこにもいなかった。
「――なあ、どうしても駄目なのか？」
大広間の、目立たない片隅で、メイルガンは繰り返し、ライスに向かって訴えかけていた。
「ぅむぅ……」
ライスは巨大な酒盃を抱え込んだまま、ただ不明瞭な唸り声を返しただけだ。
メイルガンは、広い肩をがくりと落とした。細い目が、いつも微笑っているような印象を与える男だが、今日は全身全霊で『俺は可哀想だ』という演出をするのに余念がない。
「俺だって、楽しみにしてきたんだ。明日にはディアラとエルメットに泣き別れだし」
今宵の祝宴の主役、凱旋将軍の二人が、何をこそこそ……と、思われるかもしれないが、メイルガンには、どうしても話をつけておきたい事があったのである。阿鼻叫喚の中心から、少しでも離れておかないと、互いの声すら聞こえそうにない……。
まだ日の高いうちから始められた宴は、既に爛熟期――完全な乱痴気騒ぎ状態へと入っていた。
最初の大勝利。
しかも、領土をほぼ倍増する程の戦果である。
凱旋してきた者も、迎える者も、我を忘れて浮かれ騒ぐのも無理はない。最初のうち聞こえていた楽の音も、とっくに聞こえなくなっている。いや、もはや意味が無いと見てか、楽士たちの姿自体が見当たらなくなっていた。
年上の僚友に袖を引かれて、素直に席を移ってはきたが、ライスの反応ははっきりしない。巨体を椅子に沈めたきり、岩のように重々しく固まっている。
だが、メイルガンは、相手の態度には頓着していなかった。
これまでの付き合いから熟知している。この相手、戦場での、鬼神もかくやと思われる壮絶な暴れっぷりに反して、平時になればどこまでも……何も考えてやしないのだ。
「まだ宵の口だ。一晩……いや、数時間でもいいから、貸してくれよ、あの副官」
「む……」
「そりゃ、お前が、細かいことは何でもかんでも、あいつに全部任せてるのは知ってるよ、」
その瞬間、二人のテーブルに、ふざけ半分に仲間と殴り合っていた若武者の一人が、よろよろと倒れこんできた。
間髪を入れず、ライスが襟首を掴んで、隣のテーブルへと放り投げる。大皿の上に頭から突っ込んで動かなくなった若者には、もう目もくれない。
一呼吸おいてメイルガンが、何もなかったように続ける。
「今だって早めに酒宴を抜けて、帰国の準備だろ？こき使うのはお前の勝手さ。でもな、ちょっとくらいいいじゃないか」
「……」
「お前が代わりにだと？冗談じゃない、そもそもお前、チェスのルールなんか知らないんじゃないか？」
戦術マニア――いや、熱心な戦術研究家を自認するメイルガンは、凝縮された頭脳戦として、チェスをも大いに愛好していた。それなりの実力もあるのだが、今回の遠征中、ライス新しい副官がなかなかの指し手であるらしいと聞きつけて、対戦の機会を、手ぐすね引いて待っていたのである。
一夜明ければ、また最前線。
しかも今度は、ライスとは、奪取したばかりの二国にわかれての赴任となる。次の機会はいつ訪れるやら分からない。古今東西の兵法書に通じた老練な頭脳が、計算結果をはじき出す。
――押しの一手だ。
「ぬ……！」
「無理をしたって、つまらんぞ。だからさ、……お？」
――ばん、と、広間の扉が開く音がした。それも、尋常ならざる激しさで。
いささかカン走った怒鳴り声が続く。
「だ――か――らっ！――そっちから呼びつけておいて何だってんだっ！」
メイルガンは、第三者から見ると一方的に聞こえる会話を打ち切り、ゆっくりと立ち上がった。
「驚いたな。結局、来たのか……」
「ぅむ……」
大広間の入り口に、仁王立ちして湯気を立てているのは――
昼間、『今月の召集には来ないから』と聞いた筈の、ペンドラゴンその人であった。
「ひとが必死に戦ってる間に、勝手にどんちゃん騒ぎをおっぱじめやがって！」
「昼のうちに、二将軍の報告と会議は終ってしまったんですよ。それに、ペンドラゴン殿には、シアボルドの侵攻が分かった時に、もう来月で良いから、と、知らせが行ってたんじゃないんですか？」
追いすがるように現れて、汗をかきかき、宥めにかかっているのはライアスだ。
「まだ夕方じゃないか。普通、大事な作戦会議がそんなに早く終わるか。ったく、あの、天然ボケ……」形のいい唇を歪めて、吐き捨てるように言う。
「しかし……」
「俺は、侮辱されるのは大嫌いだ」
ペンドラゴンは、ふんっ、と鼻を鳴らしてそっくり返った。
「あんなザコ一人追っ払うのに、何日もかかる訳ないだろう」
――子供っぽい片意地だけで、戦闘を強引に終わらせて、ウェラミウムへ飛んで来たというのか。
メイルガンは内心ちょっと呆れながら、ペンドラゴンに近づいた。うっそりと、ライスが後に続く。
――とはいえ、それを力づくで実現させてしまうのは凄いぞ。
かすかな苦笑を浮かべたまま、愛想よく声をかける。
「先に始めてしまって申し訳ない。ペンドラゴン殿がここまで強いとは、認識不足でしたな」
思いっきり下手に出られて、ペンドラゴンは、さすがに決まり悪げな顔になった。
「いや、貴公らには、含む所などないからな、本当に」咳払いをして、「ディアラ、エルメットでは、見事な戦い振りだったと聞いている。こちらこそ、羨ましい程だ」
嘘ではない。
賞賛の言葉には、誠意がこもっていた。
「では、どうかペンドラゴン殿も、こちらでゆっくりと……」と、見るからにほっとした様子のライアス。
「そうそう。シアボルド戦の詳細を、是非聞かせて欲しいし」
ライスもまた、無言のまま、満足げに頷いてみせる。
こちらは、ペンドラゴンのおかげで、メイルガンの気が逸れたのが嬉しいせいかもしれないが。
だが、ペンドラゴンはきっぱりと首を振った。
「とにかく、肝心の当主殿はどこなんだ？」
「うーん……私が最後に見た時には、何やら楽士たちに声をかけていらしたようですが」
ライアスが、苦労して記憶を辿る。アルコールの回りも早いたちらしい。
「なるほど。この間と同じパターンだ」ペンドラゴンは、氷のような微笑を浮かべた。「楽士の中に女がいたってか」
「今回来てた連中は、男ばかりだったぞ」メイルガンが指摘する。
「でも、小一時間ばかり、お見かけしてませんねぇ」
「我々の連れてきた、戦功ある者たち全員に声をかけてくださったし、一応、宴での責務は果たし終えておられるが――」
「でも、俺に貸す顔はないんだな。まだまだ貢献が足らんというんだろう」
「いや、城内の、どこか辺鄙なところをうろついてるんですよきっと。普段から落ち着きのない方ですし……」
「――結構好き勝手言う奴だなぁ、お前も」
感心したように、メイルガンが頷く。
その時ライスが、ぼそぼそっ、と何やら呟いた。
「ええ？」
メイルガンが――メイルガンだけが――ちょっと驚いたように振り返る。
「ほんとか？ほほー。久しぶりだな」
ひとり、納得したように頷くメイルガンに、ペンドラゴンの目つきがまた険悪になり始めた。
「何をこそこそと……はっきり言えって！」
「そうですよ、なにごとなんです？」焦り顔のライアスも尻馬に乗る。
普段は、巨岩を鑿で荒っぽく彫り上げたかのような般若顔に相対するだけですっかり気圧されてしまうので、ライスにはあまり近づこうとしないのだが、メイルガンやペンドラゴンを盾にしているので安心しているのだ。
「なに、たいした事じゃない、興奮するな」
ようやく、メイルガンによる解説が始まった。
「リアラッハ様は、皆が盛り上がりきってぐちゃぐちゃになり始めた所で、宴を抜け、少し離れた村まで遊びに行かれたらしい」にこりと笑って、「おしのび、って奴だな」
「……おしのび？」
ペンドラゴンは、ぽかんと口をあけて、相手を見返した。――冗談、でも、なさそうだ。
「あの人は、そういうのが結構好きなんだな。以前にもあったよ」
四人の中では、メイルガンが最も年上である。
ずっと国王軍にいたというわけでもないのだが、当主の人となりについて、一番よく知っていて不思議はない。年齢的にも近い筈だ。
メイルガンの目がますます細くなる。
「あちらも、今夜は丁度何かのお祭りに当たるそうだ。運がよければ、ちょいとしたアバンチュールも――」
「どこの村だ」
ペンドラゴンは、低い声で遮った。
目が据わっている。
「ニミッツだ。城から南東に、馬で半時ってところかな。街道沿いの、小さな村だ」
「……わかった。来る途中、傍を通ったと思う」
――ひと言二言しか、それもよく聞こえないような呟き声から、なんでこんなに情報量が……と、ひそかに首をひねっていたライアスは、突然指を突きつけられてのけぞった。
ペンドラゴンの細い指だ。
「ぅわ？」
「出かけてくる。――連れて来た連中に、ちゃんと酒や食い物をあてがっとけ。俺同様、戦闘のあと、ろくに休まず飛ばしてきたんだ。飢えた狼みたいに気が立ってる筈だからな」
言うだけ言うとペンドラゴンは、さっと踵を返して、大股で広間を出て行こうとする。ライアスは慌てて呼びかけた。
「出かけるって、どこへです？」
「あの無責任野郎の首根っこを捕まえて、お灸を据えてやるんだっ！……畜生、ちゃんと間に合うと言ったのに。許せん……」
最後のほうは、ばん、と荒っぽく扉の閉まる音で、尻切れトンボになってしまった。
登場、退場ともに、さながら嵐の如くである。
残された三人は、しばし呆然と立ち尽くしていた。
ややあって、ぽつりと、メイルガンが呟いた。
「面白そうだな……」
ライスが、重々しく頷く。
ぎょっとした顔で、ライアスが振り返った。
「お前も行くか、ライス？」
ライスは、岩のように無表情なまま、更に頷く。
「よーし、それじゃ、俺たちも馬を出させて見物に……」
「冗談じゃありませんよ！駄目ですっ！」
いきなり、ライアスが爆発した。
「誰も彼もが出かけてしまうなんて、絶対、駄目です！私ひとりを残していって、万一何か起こったら、どうするんですかっ！自慢じゃないけど、軍事の「ぐ」の字もわからないんですからねっ」
「何言ってる、今日は夜襲なんてありっこ無いって」
呆れたように答えるメイルガンの太い腕に、ライアスはなおも取りすがる。
「無責任なことを言わないで下さいっ。当主が無責任だからって、皆がマネをすることもないでしょう」
「わかったよ。……しかし、本当に、言う奴だな。ペンドラゴンと、いい勝負だ」
仕方ない、という笑顔で、そう言うと、メイルガンはライスを促して、さっきの席へと戻っていった。中断していた交渉を再開するのだ。
思ったより素直に諦めてくれたメイルガンに、胸を撫で下ろしたのもつかの間。
ライアスは、殺気のこもった視線を感じて飛び上がった。
おそるおそる、あたりを見回す――
ライスと、目が合ってしまった。
メイルガンの肩越しに、遠くから睨んでいる。何故なのかは理解できなかったが……
「ああっ、そうだっ、料理と酒の追加が要るんだった……」
言い訳がましさ全開で、ライアスは、脱兎のごとく大広間から逃げ出した。
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